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ボートレースってどんなスポーツ?ボートレーサーにはどうやったらなれる?ボートレースに興味がある人や、ボートレーサーになりたい人へ、ボートレースの面白さとともにボートレーサーの魅力もご紹介!

ボートレーサーに聞いてみた

秋田県秋田市出身

高橋 直哉TAKAHASHI NAOYA

登録第4245号
出身高校:秋田工業高校
生年月日:1981.12.06
登録期:93期
支部:東京

ボートレーサーになる前

ボートレーサーになる前の高橋 直哉選手の写真
所属していたクラブは?
中学・高校の6年間サッカー部に所属していました。特に上手ではありませんでしたが、走ることが好きだったので楽しかったです。
ボートレースを知ったきっかけは?
父親がボートレース好きで、ボートレースチケットショップ河辺に連れて行かれたのが初めてだったと思います。
ボートレーサー募集を知ったきっかけは?
最初は父親に勧められて、高校3年生の時に初めて入所試験を受けました。自分から受けたのではなく、父親の影響が強いです(笑)その時はボートレースのこともよく分からないし、興味が全然ありませんでした。
ボートレーサーを目指したきっかけは?
高校を卒業し社会人になって自動車工場で働いていました。丸1年間たった頃、「このまま働いていても、ずっと同じ作業を続けるのだろうなぁ、面白くないなぁ」と思っていました。その時に「ボートレーサーって職業として、面白いかも?」と考えはじめボートレースに興味がでてきました。
入所試験を受けると決めたときの家族の反応は?
父親は元々ボートレースファンなので応援してくれました。母親はボートレースを全く知らないので、反対こそしないものの心配していました。
入所試験を受験するにあたり努力したことは?
基礎的な体力づくりと柔軟体操をがんばりました。動体視力のトレーニングも役に立ったと思います。
ご自身の経験等で、入所試験に活かされたものがあれば教えてください。
工業高校だったので、手先の器用さはあって良かったと思います。サッカーの経験でついた体力も役に立ちました。
ボートレーサーを目指した後、不安に感じたことはありますか。また、その不安をどのように解消しましたか。
特に不安はありませんでした。自分の時は応募資格の年齢が20歳までだったので、ダメなら仕方ないと思っていました。

ボートレーサーになった後

ボートレーサーになった後の高橋 直哉選手の写真
ボートレーサーになった後、努力したことは?
減量と練習です。デビューした頃は体重が重かったので、減量は苦労しました。レースの次の日でも、できるだけ練習するように心がけました。
ボートレーサーになってよかったと思う時は?
プロペラやモーターの調整が上手くいって、自分の思い通りのレースができると、とても楽しいです。会社員にはない満足感だと思うので、ボートレーサーになって良かったと思います。
ボートレーサーとしての5年後、10年後の目標は?
今、秋田県には一人しかレーサーがいないので、同県の後輩が出てくるまでできるだけ長く続けたいです。
ボートレーサーを目指す上で一番重要なことはなんですか?
あきらめないことが一番だと思います。結果がでるまではどうなるかは誰にも分からないので、あきらめない気持ちが大切です。
ボートレース場のないエリアからボートレーサーを目指している方にメッセージ

ボートレーサーほどプロのスタートラインが同じ職業はないと思います。周りにボートレース場がなくてもボートレーサーがいなくても、ボートレーサー養成所に入ってからがスタートです。友達と一緒に受けてみたら、自分だけ受かったという話も聞いたことがあります(笑)あまり気負わず受験してみたらいいと思います。がんばって下さい。

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