MENU

ボートレースってどんなスポーツ?ボートレーサーにはどうやったらなれる?ボートレースに興味がある人や、ボートレーサーになりたい人へ、ボートレースの面白さとともにボートレーサーの魅力もご紹介!

ボートレーサーに聞いてみた

島根県浜田市出身

山田 和佐YAMADA KAZUSA

登録第4978号
出身高校:島根県立浜田高校
生年月日:1994.06.06
登録期:120期
支部:広島

ボートレーサーになる前

ボートレーサーになる前の山田 和佐選手の写真
所属していたクラブは?
野球部に所属していました。
ボートレースを知ったきっかけは?
3才くらいのときに父にボートレース場に連れて行ってもらいボートレースを知りました。
ボートレーサー募集を知ったきっかけは?
父の知人の娘さんがボートレーサーになったことがきっかけです。
ボートレーサーを目指したきっかけは?
幼い頃にボートレース場で見た時の感動が忘れられず、レーシック手術を受けて視力回復すればボートレーサーになれると知り、どうしても挑戦してみたいと思ったからです。
入所試験を受けると決めたときの家族の反応は?
僕が大学に行っていたこともあり、父は少し複雑な顔をしていました。
母は僕が本気でやりたいなら賛成だと笑って言ってくれました。
入所試験を受験するにあたり努力しておいてよかったことは?
体力をつけたり、体を鍛えて筋力を上げたりすることは当然として、僕は柔軟が一番大切だと思います。今までしたことのない体の使い方をするのでケガや故障がとても多いためケアの意味もこめて大切だと思います。
また、試験には体の柔らかさが問われる項目も何個かあるのでやっていて損はないと思います。
ご自身の経験等で、入所試験に活かされたものがあれば教えてください。
野球を長い間経験してきたことで、緊張する場面で自分の持っている力を出さないといけなかったので、試験のときは自分のパフォーマンスが出せたと思います。
ボートレーサーを目指した後、不安に感じたことはありますか。また、その不安をどのように解消しましたか。
大学を中退してから試験を受けたのでその準備の間はずっと不安でした。
妻がいつも支えてくれたので絶対にボートレーサーになって恩返しするという高いモチベーションを保っていました。
僕は退路を絶ってからじゃないと甘えてしまうので「もうやるしかない」とふっ切れたのも良かったです。

ボートレーサーになった後

ボートレーサーになった後の山田 和佐選手の写真
ボートレーサーになった後、努力したことは?
減量は意識しました。
あとはプロペラの勉強は今でも変わらずやっています。
ボートレーサーになってよかったと思う時は?
毎レース出走するときに不安と緊張が少しと今からレースが出来ると思う喜びを感じるので、その時に思います。
ボートレーサーとしての5年後、10年後の目標は?
5年以内にはA1になって10年後には僕を見てボートレーサーになったと言ってもらえるような感動を与えられるボートレーサーになるのが目標です。
ライバルはいますか?
ライバルはいません。広島の若手の先輩や後輩の高橋竜矢選手にはいつも刺激をもらっています。
去年初優勝されましたが、レースに対する考え方に変化などはありましたか?
レースに対する考え方は今までと一緒で常に自分が今できることは何かを考えそれをしていくということだけです。優勝してからはより一層感謝の気持ちを持つようになりました。
家族の存在というのは自身にとってどういう良い影響がありますか?
常に自分を支えてくれて家に帰るとホッとします。僕が好きなボートレースを職業にできているのも家族の支えあってのことだと思って感謝しています。家族がいるから自分一人では大変なことも踏ん張って頑張れます。
法律関連のお仕事を目指したときもあったと聞きますが、全く違うスポーツの世界に飛び込んだ第一印象は?
上下関係が厳しいのはもちろんですが、ボートレースはレースをしている場面よりもプロペラの調整やターン練習など準備の段階がとても大切で、華やかさの裏にはとてつもない努力や準備があるのだなと思いました。
ただ、やっぱり乗ってレースする側になってもボートレースはかっこいい、ボートレーサーはかっこいいなというのが第一印象です。
ボートレース場のないエリアからボートレーサーを目指している方にメッセージ

ボートレーサーを目指す人が少なく色々な不安もあるかと思いますが、自分を信じて努力し続けてください。あなたがボートレーサーになることであなたの町では少しだけかもしれませんがボートレースが身近になります。あなたのレースであなたの町に感動を届けましょう。そう思って日々のトレーニング頑張って下さい。

資料請求はこちら
募集要項はこちら
募集要項はこちら
募集要項はこちら