ごくごく普通だった自分を変えてくれたボートレース。素直な気持ちで周囲から学び、観察する目を養いたい。
高校卒業→ボートレーサー養成所。
ボートレーサー養成所 第121期 山口県山口市出身 山口県立山口高校卒業。
高校時代からボートレーサーを目指し、アルバイトをしながら挑戦し続け7回目で合格。
2016年10月ボートレーサー養成所 入所。
小さい頃から何かに夢中になるタイプで、小学校時代は合唱部で、7時からの朝練習にも出て一生懸命やっていました。
中学2年生の終わりの進路相談で、先生から『もうちょっと頑張ったら、トップクラスの次のランクの学校に進めるよ』と言われ、じゃあって、本気で勉強するようになりました。どうせ頑張るならトップの次じゃなく、トップへ行こうと。
そこから猛勉強しました。所属していたラグビー部の部活動が終わると夜11時までは塾。さらに、家で明け方の3時くらいまで勉強しました。結果、目標の学校に進むことができたんですが、その高校在学中にボートレーサーを夢見るようになりました。
ボートレーサーを目指したのは高2の時でした。
よく父から『翔太郎は小さいからボートレーサー向き』と言われていたので、それも影響したと思います。家族に理解があったのは幸運でした。もちろん反対する先生もいたんですが、途中から、意志を尊重してくれて応援いただきました。
でも、7回も受験することになったんです。
勉強には自信がありましたが、1次試験(学科、体力試験)でさえ4回も落ちてしまいまして…。
その間は、飲食店やスーパーのベーカリーショップでアルバイトをしていました。
そして、7回目、通知の封を開けて合格の文字を見たときに号泣してしまいました。親の前だったのに、涙がとまらなくて…。
ボートレーサー養成所は、正直自分にとっては楽しかったです。厳しさや礼と節を重んじる規律、それに時間管理や行動管理がしっかりしていることは予め承知していましたし、当たり前だと思っていたので大丈夫でした。学業というか座学も毎日発見があってついつい引き込まれました。法規の勉強もあるんですが、ボートレースはこうした法律によって成り立っているんだと、気づかされました。
整備や乗艇は、ゼロからの体験でしたし憧れだったので、無我夢中でした。楽しみでしかたなかったです。だからでしょうか。1年間はあっという間でした。
勉強や訓練は、ともすれば受け身一辺倒になってしまうと思うんですが、教官から教えてもらったことを頭の中で組み立て直すのも面白くて、例えば、『整備でこうしたらこんな感じになるんじゃないか』とか、同じ興味を持った訓練生の仲間と話しあったり意見を出し合ったりしてイメージを膨らませたりしていました。自分たちで仮説を立てて教官のところに確認しにいったこともあります。教官が『ほお~』って感心しながらいろいろ答えてくださった時はうれしかったです。仲間というんでしょうか、本当はライバルなんですが、同じ志をもつ同期と学び合えたことも貴重な体験でした。
学生時代からそうなんですが、養成所ではメモを取りまくりました。メモって、教えられたことやアイデアを記録しておくことが多いと思うんですが、どんな乗り方がいいのか、考えながら絵を描いたり…、とてもお見せできるような絵ではないんですが、どんどんノートに残しました。
それから、人生哲学というとおおげさですが、ものごとの考え方や感じ方についても参考となるようなことは記しておきました。今でも時々見返します。
2017年11月10日、ボートレース下関でデビューしましたが、山口の先輩はとても親身になって教えてくれます。そうした支えに早く応えたいですし、これまで応援してくれた方々やレーサーとして認めてくださっているファンの皆さまのためにもがんばりたいです。
7回目の試験で合格するまで苦しいこともありましたが、あきらめなくてよかったと思っています。
高い目標に向かって一生懸命取り組むことに価値があると思います。試験を含めレーサーになるまで厳しい道のりですが、がんばってください。