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スポーツで食っていく。ボートレースってどんなスポーツ?ボートレーサーにはどうやったらなれる?ボートレースに興味がある人や、ボートレーサーになりたい人へ、ボートレースの面白さとともにボートレーサーの魅力もご紹介!

先輩レーサー紹介

浜本 裕己選手のお母様・妹様に聞きました

一生懸命だから「損得の計算」ができない。(笑)人には成長期なるものがある。学説によれば体が大きく成長する時期のことで、男子が12歳頃、女子では10歳頃が「成長期」にあたるという。平均的に身長が伸びる時期、「伸び盛り」である。「伸び盛り」という言葉からは、明るい将来や成長の意思が見えてくる。若者にとってはなおのことだ。
西橋奈未はそんな「伸び盛り」の真っただ中にいる。デビューは2016年11月17日の三国。19歳だった。
1.75の勝率ではじまったが、すぐに3.58まで上げると、2020年後期適用勝率を6.18とし、A1昇格にあと一歩まで迫った。まさに成長一途の現在である。
2020年11月にはボートレース芦屋で開催された男女混合戦で優勝戦1号艇をゲット。インから逃げて初優勝を飾っている。「男女混合戦で優勝するのが目標でした。優勝できてほんとうにうれしいです」と顔をほころばせるのを多くのファンが注目して見ていた。
高校時代、弓道に打ち込み、歴史が大好きな工業女子がいかにしてボートレーサーとなったのか、本人と母・奈保美さんに聞いた。

浜本 裕己選手のお母様・妹様に聞きました

インタビュー動画

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どんな子どもでしたか?

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とても活発な子でした。とにかく握力が強くて、生まれて6ケ月目くらいには鉄棒のようなものにぶら下がってしまうんです。まだハイハイしかできないのにです。ハイハイは結構長かったですね。なかなか歩かなくて。普通の子どもよりかなり遅かった方です。

行動が先に先に出るタイプで、口達者な姉とは正反対。なかなか喋らない子どもでしたね。口べたっていうんでしょうか。ただ、とっても行動的でした。ママゴトよりも、縄跳びや球技をしたり公園のすべり台などで遊ぶ方でしたね。よく男の子と一緒でした。

─ これについて西橋奈未自身は…「ものすごく長くてスピードが出るすべり台ってありますよね。あのような遊具が大好きで何回も何回も滑っていました」と語っている。幼少期からスピード感を楽しむようなところがあったのだ

それから、小学校5年生の時に学校になかったバドミントン部に入ったというか、つくったんです。
「ないのなら部をつくろう」と…。20人くらい参加してくれることになったんですが、半分は男子だったらしいですよ。娘らしいです。

─ まさに行動的である。せっかく競技するのだからと大会まで設けた。自分だけのために動いているのではない。他者への眼差しがある。そんな優しさは動物の世話にも表れた。西橋奈未が小学校時代を振り返る。「当時、学校にはうさぎやにわとりが何匹もいたんですが、小学校4年生の頃からエサをやったり掃除をしたりしていました。もちろん、一匹一匹の特徴も分かっていました。うさぎだったら鼻の模様の違いとかですね」と当然のように言う。ただ、混ざってしまったら分からなくなるのが普通である。優しさの背景に個々への愛情があるのはいうまでもない

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レーサーになるきっかけは?

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高校は、石川県立工業高校の機械システム科でした。部活動は弓道部です。
剣道部か弓道部か、どちらにしようか迷った挙句、人があまり選ばない方にしたようです。
すごく楽しかったようですよ。
「弓道はひたすら自分との戦い。集中力の塊みたいなところがある」と言っていました。

─ ちなみに、「団体」で石川県上位の成績を残している。やるからには本物志向であるのは、歴史が好きだからかもしれない

ほんとうに歴史が大好きなんです。言ってみれば「歴女」ですね。
歴史のことはよく勉強していて本を読んだり、博物館に行ったり歴史上の地に赴いたりしています。そういう歴史や歴史上の人物から学ぶことも多いんではないかと思います。

─ ちなみに西橋奈未は、動乱の幕末、最後まで悔いなく戦おうとした新選組に特に憧れているという。例として沖田総司や土方歳三の名前を挙げたが、時に京都に墓参りするほど気持ちを寄せているという

ボートレースとの遭遇は高校の時ですね。
2年生の時、家族で三国に行ったんです。6月でした。夢中になっていましたね。広い水面やそこを走るボートのモーター音、そして水しぶきにとっても感激したようです。

で、そこからの行動は素早かったです。
1ケ月後には三国に行ってペアボート試乗会に参加しました。きちんと事前に調べて家族で行きました。
乗ったあと、「スタンドで見るのとはまったく違う景色だった。不安定なボートを操ってこんなスピードで走っているのか」と言っていました。

─ ペアボートには、高校3年生の夏と秋にも乗っている。さらに、ボートレース三国で開催されるトークショーにも積極的に出向いていた。その中に福井支部の先輩となる藤堂里香(101期)がいた

どうしてもボートレーサーになりたかったからでしょうね、藤堂さんにいろいろ聞いていました。トレーニングの方法や筆記・体力試験の準備の仕方、操縦試験で気をつけることなどについて直接…。
藤堂さんはとてもいい方で「意識して生活することが大切」といったことなど、的確なアドバイスを送ってくださいました。ありがたいことです。

─ それほどまでに前のめりだった西橋奈未だが、逆風にさらされなかったわけではない

そんなにまでレーサーになりたいと思っていたのに、高校の先生からは「手先の器用さを生かせる自動車整備関係に就いてはどうか」と言われたりしていました。進路指導書類の希望欄は空白でしたし…。
でも、本気でなりたいと勉強もしていたのでがんばってほしいと思っていました。

ただ、厳しい世界だろうから本当に大丈夫だろうかという気持ちも正直ありました。

─ 結果、西橋奈未は2回目で合格した。1回目は、1次・2次をクリアしたが、操縦試験がまったくできなかった。
当たり前である。自分ひとりで操縦したことがない。
しかし、「これではいけないと思い、船舶免許を取りにいった」のだ。
プレジャーボートとレース艇は異なる点ばかりだが、それでも共通項はある。少しでも参考になるならという想いからだった。


合格できてほっとしましたが、でも心配は尽きませんでした。

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どんな思いで見守っているのでしょうか?

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厳しい世界だから大丈夫だろうか…、と送りましたが、実際いろいろ大変だったようです。
週末、電話で話す短い時間があるんですが、それがお互いの癒しの時間でした。

─ 「何をやってもうまくいかないんです。正直、やらかし組でした。大きなことから小さなことまで、失敗がたくさんありました。例えば、手袋のマジックテープが取れかかっていたり…。すると厳しく指導されペナルティも与えられます。少しの緩みが命に関わるのがレース。自分を律する必要があるからです」と回顧する。同期は36人入って修了できたのは27人。関門をクリアできるか、毎回毎回、心配と不安がつきまとっていたのだ。「一日がとても長く、1年を10年くらいに感じた」という。

最後までがんばれ!がんばれ!って、応援していました。1年間、よく耐えました。修了できてほんとうによかったです。

そして、2016年11月17日三国でデビューするんですが、衝撃が走ったようですね。歯が立たない…と。
「先輩との差があまりに大きい」と実感したようです。「プロとしてやっていけるのか」不安になったようです。…が、行動派ですからね…。

─ 事実、西橋奈未は練習に練習を重ねる。「先輩からも、練習せよ・スピードに慣れよ・握って旋回できるようにしなさい・自分の練習だけでなく相手の練習にもなるようになりなさいと指導いただきました。いつか練習でやったことが発揮されると信じ、モーターが焼きつくくらい乗って乗って乗り通しました」と語っているように行動力によって躍進しているのである

母親としては、本人が言うように、ゴールまで前を追って必死に走ってほしいですね。ファンが期待して見ていてくれますから…。

─ 大好きな歴史上の人物に重なるような生き方を、母も願っている

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